広島を築いた大動脈
「西国街道」

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江戸時代の大坂と下関を結ぶ五街道に次ぐ重要な街道で、当時は西国往還・西国路・山陽道とも呼ばれていました。その前身は古代に整備された山陽道で、もともと太田川河口一帯をさけて北に大きく迂回していましたが、のちに広島築城によって誕生した城下町を通るようになりました。城下町のメインストリートとなった街道には多くの店が立ち並び、たくさんの人々が行き交いました。
近代以降、都市化や被爆によって城下町は大きく姿を変えましたが、市内中心部において街道筋はほとんど残されており、その跡をたどることができます。賑やかな本通商店街や、平和記念公園内の道も実は西国街道なのです。

広島城下の基幹道路でもあった西国街道には多くの商人や職人の店が並んでいました。江戸時代に現在の本通商店街を歩いた旅人は「植木屋・金物屋・雑具屋・本屋・食物屋・古道具屋・キセル屋・髪附店(現在の美容院)・菓子屋・薬屋・八百屋・酒屋など、一つとしてないものは無い。」と感心しています。今も昔もお買い物をする人たちが行き交う道でもあったのです。